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近江の城探訪旅行

公開日:2020年01月17日 最終更新日:2022年05月13日

タイトル 近江の城探訪旅行

詳細


第八回現地探訪(令和1年10月8日~9日)は『信長の城』と題し座学で5回学び、近江の城を巡った。
 1日目は米原駅を集合場所にし、あいにくの雨の中講師を含め22名でマイクロバスにて、まず石田三成と羽柴秀吉の出会いの場とされる大原観音寺へ。車窓より長比城や横山城を眺めつつ、姉川古戦場に。昼食は浅井三姉妹の郷にてとり、因縁の小谷城へ。山城の為、山王丸まで登り清水谷を徒歩で下山班と番所跡からバスにて下山する2班に別れた。雨は上がり始めたが足元が滑り、当時を忍ばせた。
 2日目は秋晴れに恵まれ、まず当時は琵琶湖上にあった福島弁財天へ。信長も見上げた安土城へは今は埋め立てられバスにて移動。安土城郭資料館で城の模型(異論あり)を見学後、安土城へ。摠見寺を経て下山後、文芸の郷にて昼食と信長の館や安土城考古学博物館など見学。講師(藤井尚夫先生)一部監修のビデオ鑑賞も。
午後より彦根城へ。中堀・内堀など大きく巡った後、ひこにゃんも撮影し天守や天秤櫓・登り石垣、玄宮園を見学。米原駅で予定通り5時に解散した。

<大原観音寺>
石田三成と羽柴秀吉の出会いの地とされている。
寺の小僧だった三成が、鷹狩りで立ち寄った秀吉に茶を献じたという逸話で有名。
本坊に至るまでに塔頭が多く残る。
近くに石田村があり、石田三成の生家がある。

<小谷城跡案内図>
日本五大山城の一つ。
浅井氏の居城で、小谷山の尾根筋に主要曲輪が直線的に並び、各曲輪間は堀切や土塁で仕切られ、独立した防禦単位が形成されている。
信長の妹と長政の娘三名は信長に返還された。嫡男は逃亡に成功したが後に磔に。浅井長政は切腹。

<安土城 天主台>
琵琶湖を利用した経済や軍事上のネットワークを構築する拠点にする為、信長が日本で最も硬い岩石で構成されている安土山に造らせた。
天主台が不定形なのは、内部に地山の岩石が邪魔をしているという説がある。
天主台は八角形で、他の城では見られない。
安土城郭資料館では、吹き抜けの模型が展示されているが、先生は周囲は廊下に囲まれた様式説をとる。

<彦根城 天秤櫓と廊下橋を見上げる>
彦根城は、井伊直政が関ヶ原合戦の後に石田三成の領地に入り、息子の時代に造られた城。
平地に独立した丘を利用し、山城の要素を残しながら構築されている。
天秤櫓は、長浜城からの移築と伝わる。石垣で固めた堀切は珍しく、戦時には木橋を落す。木橋の橋脚は以前は石垣の途中から始まっていた。

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