浦安市生涯学習情報提供システム「まなびねっとURAYASU」歴史ロマンの会団体活動紹介歴史(一般)三増合戦古戦場・津久井城跡探訪

三増合戦古戦場・津久井城跡探訪

公開日:2019年07月08日 最終更新日:2022年05月13日

タイトル 三増合戦古戦場・津久井城跡探訪

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第七回現地探訪(平成31年4月9日)は武田信玄と北条氏廉の合戦地、三増合戦古戦場・津久井城跡・上の山城跡を訪ねた。
永禄12年(1569)8月、関東へ乱入した武田信玄は小田原城を包囲、城下町放火の後撤退開始。甲州へ戻る武田軍を北条軍が追撃。10月、相模の三増峠(現、愛川町)で合戦となった。双方2万の軍勢を繰り出したが、北条方の本軍が到着する前に武田軍の勝利となり、武田信玄は上の山城を経て甲府へ無事帰還した。両軍の死者は4000人を超えたという。この合戦は規模の大きな戦いのわりにあまり有名ではない特異な合戦である。写真は合戦の際、武田信玄が大将旗を立てたとされる「旗立の松」のあった山にて撮影。相模湾・横浜・都心の高層ビルも見える絶景地である。

<三増合戦古戦場の碑>
付近には首塚・胴塚もある。

<合戦地よりの眺め>
三増合戦古戦場より武田軍の
本陣が置かれた山を望む。
一面の菜の花がきれいだった。

<津久井湖城山公園>
この辺りは武蔵、甲斐、相模
の接する重要な地で、津久井
城は北条氏の有力な支城の一つ
だった。

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